
| いかにして彼らは、群雄割拠のラーメン業界で成功者となったのか。 『とみ田』の富田 治、『道』の長濱洸也、『一燈』の坂本幸彦、 麺屋こうじグループから独立した、いま注目の3店の店主が語り合いました。 |
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![]() 松戸「中華蕎麦 とみ田」店主 富田 治 日本一ラーメンに情熱を燃やす男。 ![]() 新小岩「麺屋一燈」店主 坂本幸彦 フレンチのシェフからの転身という異色の経験を持つ、本格的な職人。 ![]() 亀有「つけ麺道」店主 長濱洸也 弱冠25才という“つけ麺 道”の若きイケメン店主。 |
![]() 好きなラーメンで一旗あげる!その心意気がスタートライン。長濱「こういうふうに他の店の店主と話すことはあまりないので、よろしくお願いします。特に富田さんとは、独立してからなかなか話す機会がなかったから、昔の話とか聞かせていただけると嬉しいです」 富田「最初は雑誌に載っている店をずっと食べ歩きをしていた単なるラーメン好きでね。 長濱「僕も、ラーメン屋でアルバイトはしていましたが、ラーメンはどちらかというと食べるのが好きという方でしたね。よく行く六本木の洋服店の人が田代マスターの知り合いで、若い人間を探しているというとうことで紹介してもらうことになったんです。それで話しを聞いて、ヤル気になってきました。 坂本「私が田代マスターに入門したのは、最初から自分の店という夢を実現するためですね。それまではフランス料理のシェフをやっていたんですが、シェフといってもサラリーマンで、いつかは自分の店を持ちたいといつも考えていました。
![]() 自分の努力で必ず実現できる夢だから頑張れる。富田「修業時代は、とにかくツライ。何から何まで全部大変。特に田代さんに入門するまでは包丁もちゃんと使ったこともなかったぐらいだから、そこから始まりだった。茨城の大勝軒の2階に住み込みで、みっちりだった。でも、自分も店を持って好きなラーメンで一番になりたいと思っていたから死ぬ気で頑張れたと思う」 坂本「私も最初は茨城・大勝軒の2階の住み込みからスタートでした」 長濱「え、僕は、住み込みはしていないんですが」 富田「やっぱり育てるのは“人”だから。その時の状況や、その人、その人にあった修業の仕方があるわけだし。 長濱「ありがとうございます。 富田「ウマいのは当たり前。今は味だけは勝負できない時代だから。自分にファンをつくれるようにならないと勝ち残っていけない。今、自分が入ってきた人間を教育するときも、味や技術というのは無論なんだけど、むしろ挨拶から始まって人間の教育に力を入れるようにしている」 長濱「それはわかります。本当は、人と話すのとか得意じゃないんですよ。独立して最初の頃はお客さんが1人しかいないときもあって、ウチはカウンター席だからすごく距離が近いんです。『道』の麺は茹で上がるまで14分ぐらいかかるんで、その間に話しかけられたり、相手をしなくてはならないのが慣れなくて。でも、そうやって話しができるようになっていくと、お客さんが増えていくのがわかるんです。今もお客さんに育てられているという気持ちを持っています」 麺屋こうじグループの店主たちは心強いライバル。富田「坂本さんに初めてあったときも、ただ者じゃないって感じが漂っていたね」 坂本「いや、正直、富田師匠に会ってからが本当の修業でしたね。それまでは自分も飲食業はぜんぜん素人じゃなかったというのがどこかにあったのか、甘かったところがあったと思います。 富田「そうなの?」 坂本「だから、自分が独立するとき富田師匠にプロデュースしてもらうことになったのは嬉しかったですよ」 富田「それは、田代さんへの恩返し。自分がこうして今あるのはラーメンについて1から10まで叩き込んでもらったからで、独立するときもお世話になった。だから、その田代さんの弟子を応援するのは当然でしょう。それが田代さんの恩に報いることだと思うから」 坂本「『一燈』がオープンするまでの準備期間、3、4ヵ月の間、メニューや店のコンセプトなど相談にのってもらったり、味をみてもらったり。 長濱「その坂本さんの店が、自分と同じ葛飾区に出るって聞いたときは、ヤメテって思いましたよ。他の場所でやってよって(笑)」 坂本「でも、葛飾って広いし。実際、店もけっこう離れているし、店のコンセプトも違うからさ。でも、意識はしますよ。負けん気も強いですから。 長濱「自分も、そういうところはありますね。気に張りがでますよ。 坂本「それって、富田師匠を超えちゃうってこと」 長濱「え、それは…」 富田「超えちゃって、超えちゃって、どんどん(笑)」 ▲ページのトップに移動 |
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